「ほんぶしんの御教えに触れた瞬間からあらゆる人生が好転します」

 

 感謝の心や人への思いやりを説くことはどの宗教も同じなのに「違い」を見つけては争い合う。人種でも同じことが言えるでしょう。同じ人間なのに違いばかりを強調し合う。そして、争いが始まる。人が傷つく。また世界のどこかで同じことが繰り返されている現実からは目を逸らせない。違いを見つけてばかりいるときりがない。肌の色の違い、文化の違い、国籍、それに違う宗教や、信仰、それらを良いように見る人ばかりではない為に、起きる争いの数々。

 

「何が正しくて正しくないのか」真実は決して争いの中からは探し出すことの出来ないものなのに・・・・まるで正義という言葉を取り違えているかのように、違う国の違う都市の自分が信じているもの意外を信じている人を、「違う=理解し合えないだなんて思う必要が無いのです。」人の信心を無理に変えることは、幸せからかけ離れています。相手と理解し合う大切さ心を通じ合わせる。相手を思いやる心があるのならば、相手と同じ視線に立って現実を見つめて下さい。数え切れない世界の人々にも敬意を示しましょう。あなたの隣に居る人の考えにも耳を傾けましょう。全て命あるものはこの地球の中で繋がっているのですから。

 

お互いの共通点に感謝し相違点に敬意を示しましょう。

 

 私たちは生きていく上で避けて通れない二通りの悩みがあります。その一つ目は、心の悩み(事情といいます)今一つは病気(身の障り)これらは決して別々のものではなく密接な関わりがあります。物事には全て原因があって結果があるように病気とて同様結果である故必ず原因がある訳であります。真因を突き止めずしていくら病気治しに奔走しましても、それは対象療法であって、病根は手術では取り除くことは出来ない因って再発入院を繰り返すのです。従って、医療費も病人も増える一方、薬とて治ると言う文字はどこにも見当たらないそれが現状です。事情としてほっておくと取り返しのつかない事になります。病気以外の困りごととは、一例をあげますと、夫婦間の問題、親子間の問題、上下関係、近隣の問題、引き篭もり非行、いじめ、登校拒否、心の病うつ、フラッシュバック、社会不安障害、ご自身やご家族の身体的な悩みなど、ほんぶしんの御教えに触れることによって病気の回復、環境の好転が現れてきます。健康といっても体の中で病気が徐々に進行していてもその症状が現れなければ「病気でないから健康だ」と言うだけの事。しかしそれでは本当の健康とは言えません。

 

病気を寄せ付けない体質になってこそ本当の健康と言えるのではないでしょうか。私たちの活動は真の健康づくりと人類平和に貢献するものです。

 

従業員さん、従業員さんのご家族の真の健康こそ、企業様の真の繁栄に繋がってまいります。

 

ほんぶしん敬天 平和祈念のつどい

 

祈り「世界中の人々が平和でありますように」

 

企業様の真の繁栄に貢献するほんぶしん

 

貴社ますますのご繁栄のこととお喜び申しあげます。

 貴社の事業は社会にとって掛け替えのないものであります。

 今、これまでにない問題が世界中で起こっています。温室効果ガスによる、地球の温暖化が進み、異常気象による自然災害、生態系の破壊、食料危機、水不足、エボラ出血熱や感染症の拡大、国家財政危機、経済問題が発端となって内乱、テロ、難民問題様々であります。

 企業様に於かれましても労務リスクの問題等、改めて見直す時期に来ているのではないでしょうか。

 

平成27年12月には労働安全衛生法の一部が改正され、その中において「ストレスチェック制度の創設」があります。従業員50人以上の全ての事業場について、労働者の心理的負担の程度を把握するため、医師、保健師等による検査(ストレスチェック)の実施を事業者に義務付けられました。ストレスチェックを実施した事業場は検査結果を通知された労働者の希望に応じて医師によよる面接指導を実施し、その結果、医師の意見を聴いた上で、必要な場合には作業の転換、労働時間の短縮その他の適切な就業上の措置を講じなければならない。と決められました。

 

 

 

 職場における従業員のメンタルヘルスは、年々その重大性が増してきています。メンタルヘルス不調者の存在は他の従業員の就業意欲の低下を引き起こし、職場の労働生産性の低下に繋がります。また過労や職場いじめなどでメンタルヘルスの不調を発症し、ひいては自殺につながったりその結果遺族より、過労死の損害賠償訴訟まで発展する例が各地にて続出しております。

企業様にとって、従業員は人材ともまた「人財」とも言われています。

 

 企業様のあるプロジェクトリーダーが健康面に不安を抱えていたり、またその家族の問題等で仕事に身が入らなくなり、余儀なく休職、退職、配置換え等の申し出を受ける場合が各企業様に続出しています。企業様にとってそのリーダーに代わる方がいらっしゃらなければ会社にとって、数千万から億単位の損失に陥ってしまう場合が多々あります。

 

 それに代わる人を採用する場合に於いても、いくら面接や履歴書で優秀な人材だと判断しても心に抱えている内面の問題まで話す人はいないでしょう。個人が抱えている様々な問題、それにより実績が上がらず、新しい人材も期待外れとなりかねません。現在いる従業員にも同じことが言えます。それでは会社の希望通りの発展は望めません。

 いくら表面上は明るく元気に振舞い穏やかそうに繕っていても、不安や心配を抱えていたり、また常に不平不満があり心の中に満たされないものがあると、苛立った言葉が随所に飛び交ったり、何かと諍いが絶えません。言葉は心の投影と言います。その挙句は別居、離婚、家庭内暴力や子供の引き篭もり、不登校に途方に暮れている親、いじめに合う子を持つ親、いじめを面白がる子供を持つ親の苦悩、また職場の人間関係の縺れから夫の悲惨なアルコール中毒、家庭の中は暗くて息も詰まりそう。出口の見えない悩みには全く解放される希望すらもてない。そして悩みは、時を変えて形を変えて押し寄せてくるのです。然し、悩みを単なる悩みとして止めておくのではなく、重くのしかかる問題に正しく目を向けることが必要です。

 

 日々、企業理念に沿い組織を通じて、つとめておられると思いますが、経営者様の掲げられている理念を従業員様の皆様は、どれだけ理解されていますでしょうか。経営者様の心が従業員の皆様に反映されてこその企業理念です。知っている事と理解している事とは雲泥の差です。従業員一人一人の心の中まで見透かすことはできません。社内での人間関係の詰まり、取引先との関わりによるストレス、条件が揃っているのに営業成績が上がらない悩み、上司の側の苦悩、過度に期待をかけられた部下の側の苦悩。結果に於いて責任を上司にかぶせ、人を咎め恨み人間関係の悪化、離職。職場にある問題は少なからず家庭の中にも影響を及ぼすのではないでしょうか。したがってそれが個人的にかかえてる悩みであったとしても、当事者にしてみれば仕事に専念できないとすれば会社側にとっても大きな損失になるのではないでしょうか。

 

 私たちは生きていく上で避けて通れない二通りの悩みがあります。その一つは、心の悩み(事情といいます)今一つは病気(身の障り)これらは決して別々のものではなく、密接な関わりがあります。物事には全て原因があって結果があるように病気とて同様結果であります。従って病気に至るにあたって、心使い(原因)の種を知らず知らずのうちに蒔いて来たのであります。

 

 ほんぶしんの御教えの中に次のように仰せられております。

この自然現象をなんとみる。この人類の存在を何とみるこの不思議な現象を奇跡と思わず人間社会の貧弱な常識をもって、ただ偶然事とあっさりと片付けている人たちがほとんどである。しかし世の開化は、この奇跡が奇跡を生んだ集積である。人間を造ったものは人間以上のものすなわち完全な神を意味する。人間でも目的無しには物を造らない。まして完全なる神がこの秩序ある万物を目的無しには物を造るはずがない。あたかも物体なくして影は生じないのと同様、原因なくして結果は生じない。 これは真理である。

 

 従ってこの世界は神様の思惑がありて創られた「理の支配」従ってこの世は偶然事に動いているのではなく一定の筋道の元に秩序整然とした世界である。この世が支配主、即完全なる神の意志のあることは、歴然と物語っている。

 

 万物の霊長たる人間とて、「自体無」生・老・病・死は支配主である陰陽一対の親神様が握られているのです。今私たちの住んでいる社会では、健康を害している人達で医療従事者も追いつかない有様又患者さんが服用する薬も国内だけでも数万種類にも及ぶ薬が使われています。そのために医療費だけでも四十兆円にも及ぶ膨大な額に至っていると言われています。御神言に「病というて無い程に身の内障り思案してみよ」また「病の元は心から」とも仰せられています。そこで病気とは何か。「健康とは何か」私たち日頃様々な出来事に対して大方現象止りの解決で済ませています。その事を「親神様は現象界に終始して神本質を知らざるの」と仰せられています。私達の間では、突然事故に遭遇したとか、健康診断で偶然に「がん」が見つかった等と言う事は決っしてないのです。

 

 全項で述べましたとおり「目に見える背後には、目に見えない世界がある」この様に仰せになられました。従って目に見えない心の働きが元となって現象というものが現れてくるのです。私達の身のまわりの物も全て心が元となって作り出された物です。従って病気や悩みも決して突然現れるという事は無い。全ての現象の因とは目に見えない心的現象なのです。思うという心が種となり熟慮を重ねた結果様々な形が生み出されてきたのです。何事にも必ず原因があって結果があるのです。神様は「なあーお前たち人間は、病気があると恐れているようだが、病気などというものは此の世には無いのだぞ・・・病気という花を咲かす心の種があるだけのこと」この体は心の成人をさせるために神が貸し与えたもの、みろく様織うたの一節に「成人をうながす仕込みそれぞれに神が手配り人を恨むな」と仰せられております様に私たちの体は目に見えるところの肉体と目に見えない心とで成り立っています。そして互いに心は体に対して、体は心に対して、それぞれが影響をあたえているのです。

 

 例えば指先に目にもかからぬ程のトゲが刺さっただけでもう心は平静にしておれない。一国の大統領であってもそのトゲのために心は乱されてしまうのです。又心の中に不安や恐れがあると直ちに体に影響を与えてゆきます。恐怖や焦りが高まるとそれにつれて血圧も高まってゆく。又腹が立つと胃や腸が充血して赤黒くなることは既に医学的な実験によって十分に確かめられています。従って精神的な悩みや苦しみは心を弱らせ又痛みや熱は体を弱らせるのです。故に悲しいことを胸に秘めているとどんな御馳走を出されても喉を通りません。食欲もでないのです。心臓もひとりでにドキドキします。これらは明らかに心と体が影響し合っているということであります。従って一般的に言って決して病気等ではないのです。それは日頃使い付けているところのマイナス思考(想念)が瞬時に恐ろしい病気を創造をし、心の中に心配や不安といったストレスを自ら呼び込んで病気を近づけてしまうようなものです。また、病気になっていないのに病気になったと思い込んでいると言う人もいるのです。つまり心が金縛りになっている様なものです。動けるのに心が動こうとしない。そこで神様は心の持ち方に付いて教えておられます。

 

 斯道教理に「人間は、皆々神の貸物やなんと思うて使うているやら」神様は人間の心が成人する事を楽しみに思うて体を貸し与えたもの、その証拠に私たち人間は寝ている間も心臓や肺何一つとして自分の意志とは関係なく働いているということは自分のものではないと言うことになるだろう・・・・と陰陽一対の親神様は言うておられるのです。

 

 前項で述べた通り、「我とは己が心だけ、身体は神が貸したもの 生あり 死あるがその証」人間の死とは「次生に備えた衣裳替え」とも「出直し」とも言います。つまりこの肉体は着物にも例えられており、従って本体であるところの魂が肉体から抜け去る事を差し「死」とも又遺体とも抜け殻とも言う。人間の一生には、それぞれに長短があるのは、万物一切の造り主であり、生かし主である神様の思惑の上から一代限りと言う期限付きの拝借物であればお返しするのは当然な事であります。従って各自の死とは新しく生まれ変わってくる為の神の予定コースなのです。それが「再生」であり、新たなる出発点となるのです。そしてその出発点は「万差のわれら境遇は」「霊魂不滅の証左なり」と仰せらます。人の世の境遇はさまざまであって、みな一様ではない。神は完全愛なればみな一様に幸せであるべきだが・・・・と思う。

 

 しかし、これは人間一代だけをみた時、差別だと早合点されますが、昨日があって今日がある様に、従って今生(こんじょう)は前生(ぜんしょう)からの続き道なのです。教理に「今生は前生うけしつづき道 われ知らずとも理はくるいなし」と仰せられております。又因縁とは心の道とも言うたるとも仰せられています。人の一生を人生と言う様にそれぞれが、前生に過ごした成績表通りの境遇が望むと望まずとの拘わらず今生組み合わされるのです。神は完全でありますから、人間の様な分け隔ては一切ありません。人を泣かせたればその理が己にかえってくる。又人を喜ばせて通りたものには喜びの理が回ってくる。つまり原因があって結果があるようにこれを心通り、種通りと言います。

 

 私たちの体には、脊柱神経があって、そこには「触覚、圧覚、温覚、痛覚、そして深部感覚には圧迫、位置(運動の感覚)そして、自律神経には内臓感覚その中で心臓という臓器の働きをとらえて見ますと、心臓は「エンジン」のようなものです。体の中には、大動脈、静脈、毛細血管が網の目のように無数の血管でおおわれています。血液はその血管の中を通り再び心臓に戻ってくる。その心臓の働きは、一分間に60から70回も収縮するとも言われています。全ての血管を繋ぎ合わせると、「地球二周半」にも及ぶという。血液が一周して心臓に戻るまでの時間はわずか20秒から30秒といわれています。そして死ぬまで休むことなく動き続けるのです。ポンプの役割をしている心臓から送り出される血液の量は一回の動きで約70から80ccそれを一日の量で換算すると、なんと大型タンクローリー車一台分に匹敵する程。そして一日の呼吸数はなんと10万回にも及ぶ。例えば五十歳の人であれば、五十年間の鼓動数は何と18億3400万回にも及ぶ。一分間に60から70回、鼓動している心臓が「7秒間停止」すると、どうなるでしょうか。即座に意識がなくなり倒れてしまいます。それは脳に酸素が回らなくなるからであります。最も重要な臓器、その心臓の機能が奪われると「突然死」即24時間以内に死んでしまう恐れがあります。私たちこの身体は自分の意思とに拘わらず瞬時休みなく働いているのです。人間を始め生きとし生ける生命はこの二つの力によって作られ、二つの力によって育てられ、そして存在さされているのであるからこそ「神ありて我あり」と仰せられております。

 

宇宙の極は心のみ」目に見えぬ完全なるこの力、これは宇宙精神の別名なのです。宇宙の万物はこの二大精神によって始められたのであると、天啓者みろく様は仰せられました。

 天体も人間もあらゆる万物は、その形態こそ違え、すべて統一原理によって運行されているために構成規定は一つである。人体が小宇宙といわれているのもこの原理だからであります。

 

 健康診断などで、病気が早期に発見されると皆さん喜ばれます。お医者さんより完治の可能性が大変高いことを聞かされます。しかし悪いところに対して薬を投与し、又は放射線やカテーテルなど血栓を除去又は内視鏡による手術によって元通りに直ったことが奇跡だと言われていますが、本当は直ったのではなく、元の元気をとり戻したということに他ならない。病気の発症する前はなんでもなく、何十年もの間健康でいられた。それこそが奇跡の連続だったのです。退院時に病院の請求書を受け取られたとき、高額な金額に驚かれることでしょう。健康はあたりまえのように考えていたが、健康に勝る喜び、健康こそが宝であることが初めて気ずかされるのではないでしょうか。然し、健康を取り戻したと思っても何故か再発の不安が残ります。再発を恐れているということは、実はそのような病気になった原因(根)がまだ残っているということです。従って心の原因がわからない間は、時と場所を変えて難儀を繰り返すということは言うまでもありません。今から179年前にこの道をお始めなされた教祖様は、病の元は心である-と、お諭しになりました。

 

 病の元は心ということは、悪い心を使ったから、その罰に病気になるのだ-そうした意味ではありません。他の宗教などでそうした言い方をする人が居りますがそれは間違いです。

 病の元は心から-と仰せられたことは、お手入れと言って、神が身上を台として、その者やはたはたの心を成人させるという意味です。つまり、病は成人をうながすためのもの-そういう意味なのです。だからこそこの道に於いては、身上事情は、道の花-と諭されているわけです。

 

 ところが、今から181年前の人たちが、「病の元は心から」という、このおことばを聞いて、何と思ったでしょうか-気と心とが、関係ある等というと、なにを夢みたいな話をする-、病気は病気心は心じゃないか-と思ったに違いありません。第一心などという問題を考えたこともない人がほとんどです。そうした時代に於いて、出されたおことばであります。ですから当時の漢方医や蘭学医(オランダ流の医者)などが聞いたら、それこそ、とりとめのない話であると、思ったに相違ないのであります。ところが、最近ではどうか-と申しますと、病の元は心から-と諭された教祖様のおことばは現代医学の進歩になるにつれて、これは真理だと、思われるようになっているのであります。この頃に医学では、精神身体医学だとか、心身医学だとか、心身症などということばが、さかんに使われるようになって来ております。大学病院によっては、わざわざ心療内科という科目さえ設けているところがあります。心療内科というのは、心の治療を必要とする内科ということです。人間の心に長い間、恐れとか、案じとか、腹立ちとか、恨みとか、焦りとかそうした心使いが重なっていると、それがその人の身体に非常によくない影響を与えてゆくことが、わかって来たというのであります。たとえば結核の進み具合は、その者の心の持ち方によって、大きく左右されていく特に長期にわたる療養生活を必要とする患者さんには化学療法だけではむずかしい。どうしても精神的な治療が必要である-、と申しております。また高血圧とか、胃腸病なども、その人の精神状態が非常に密接な関係をもっている。

 

 これは、四十過ぎのある会社員の方ですが、いつも会社で、上役や同僚から馬鹿にされ、みじめな心で送っていたと申します。それが胃痙攣で苦しむというのであります。診療しても、どうもよく原因がつかめないーどうもこの人は、自分の勤め先なり、家庭に、どこか発散できない処があるようだと、その医者は感じたというのであります。そこでレントゲンを撮りつつ、同時にその人に催眠術をかけて、催眠状態にしたのであります。そして、まず会社についての話をしかけてゆくと、レントゲンに映っているその人の胃は、ひどい凹凸が現れはじめた。すると胃痙攣が始まったというのであります。つまり、その人の心の中に長い間、押し続けられていた心が胃に一つの変化を与えたというのであります。こうした、実例、実験は、他にもたくさんあります。

 また健康診断にて、「正常」という結果がでても現在は異常数値に達していないだけであって、いつしか異常値におよぶかは、誰も予測できません。

 

 ほんぶしんの御教えは、この世のあらゆる現象を創りだしている根元を解き明かした、他に類例のない教えであります。健康といっても体の中で病気が徐々に進行していてもその症状が現れなければ「病気でない健康だ」というだけの事で、しかしそれでは本当の健康とは言えません。病気を寄せ付けない体質であってこそ本当の健康と言えるのではないでしょうか。

 

  私たちの活動は真の健康づくりと人類平和に貢献するものであります。

病気が早期に発見されることも喜ばしいことですが、病気や病気以外の困りごとが発症する前にその原因に気づかせていただき、改善していく生き方こそ意義ある価値ある人生ではないでしょうか。従業員さんおよびそのご家族の方の悩みや苦しみが薄らいでいき、どのご家族も円満になっていくということは、従業員さんのかつての自身を取り戻し、企業様に対する仕事の誇りが高まっていくことでしょう。そして、従業員さん一人一人の能力を最大限に引きだすことができます。そして必然と経営者様が掲げられている企業理念が従業員様の心の奥まで浸透していき、業績は今まで以上に向上していくことは必然のこととなってまいります。

 

ほんぶしんのスローガンに「すばらしい家庭を築こう」「すばらしい社会を建設しよう」とがあります。「宗教法人ほんぶしん」は、宗教の勧誘を目的としていません。これまで、個人の問題から企業内の問題にまで取り組み、数々の問題を解決してまいりました。社会貢献の一環として企業様の従業員さん及びその家族の悩み問題解決につとめ、貴社のますますのご発展と真のご繁栄こそ私達活動の喜びであります。

 

「ほんぶしん」の御教えをお伝えする手段として、二日間の形式と一日の形式にて承ります。従業員様の個別のご相談も申し受けます。

 

 このつどいは、一般的な社員研修のような費用は、一切かかりません

 

 神様にお供えさせていただきたいとの申し出があった場合に限り、「理立」としてお預かりして、ご本部へお届けさせていただきます。

社員さんの宗教、宗派は問いません。

 問題解決に向かって、「ほんぶしん」信徒に登録するような縛りは一切ございません。また問題解決後も同様に信徒登録などの縛りは一切ございませんので、ご安心ください

 

 

 

ほんぶしん敬天 (http://honbushinkigyokenshu.jimdo.com/)

 

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