真人(しんじん)志向(しこう)四本柱(よんほんちゅう)

 

ほんぶしん御教えの角目

 

ほんぶしんの教えの重要な角目をごく短い言葉にしかも実践的は言葉にまとめたのがあります。

 

一、神の世の確認

 

二、神目的の参加

 

三、死ぬるは一定、なれば・・・・

 

四、プラスワン

 

この四項目で一口に「真人志向四本柱」と申します。

 

志向とは目差すという意味です。どの項目も絶対欠かせないものでほんぶしん教義の基本的な考え方と申せましょう。

 

●一番目の「神の世の確認」じっと眺めてみましょう。

 なぜ、このような地球というものが、存在しているのでしょうか。そして、そこに人類というものが、棲息して万物の長と称し、称しながらもその人間自体もまた生老病死に支配されてままならぬ身ままならぬ世をかこっている。なぜ自分だけがこうしたややこしい病気にとりつかれたのか、人生の正しい軌範とは何かー先ずこうしたことについての基本的な認識がいります。ここを素通りすると、どんな教戒もつじつまが合わなくなってまいりましょう。

 

 ●二番目の「神目的の参加」とは、ひのきしん精神です。神様の御用をさせて頂くことです。人を助けるためになんらかの努力をさせて頂くのです。御神言に「だんだんと恩が重なりそのうえは、牛馬とみえる道があるから」とおっしゃっています。牛馬とみえる道とは、人並みに暮らせない状態のことです。二十年も三十年もベットに釘付けになって、食事は人に運んで貰っているほかにもそうした実例が多くありましょう。お屋敷に接待部という部署がありますが、お屋敷はつとめる処で、接待してもらう処ではありません。心を据えてつとめさせて頂きましょう。青年期、壮年期にうんと人を助けるために働いておくと、晩年期を迎えたとき懐も暖かく、子孫の行動半径は広く、親切な人にとり囲まれています。

 

 ●三番目の「死ぬるは一定、なれば・・・・」

 常にこの覚悟が大切です。だれでも死ぬ話をすると、禅宗の坊さんでもない限り嫌がります。耳を覆い、目を閉じたがります。しかし、この態度は、非科学的、非現実的で間違っています。この世の生けとし生けるどんな生物も成長期に達するとそこからこんどは、衰退期へ向かいます。各器官の機能は緩慢になり、停止の方向へ向かいます。これは現実です。何千万、何億人の人でもみな同じことです。人間は神様の作品で神様の思わくによって、品種改良が行われているのですから、止むをえません。作られたものは作り主の計らいの中に自分を見出すより仕方がないのです。

 

●最後に「プラスワン」ということです。

 これは何事にせよ、前向きに取り組むのです。昨年はこのことが出来なかったが、今年はなんとか出来るようになった。先輩はようしなかったが、後輩の自分は出来るようになった前進の跡をみつけ、理想は大きく、目標は小刻みにそれをしっかり肯定いたしましょう。

 

 「真人志向四本柱」これが道の基本です。この四本柱さえしっかりがっちり建っていたら、その中で、どんな横綱相撲もとれるのです。

 

 真人建設!この世の根本である

 

六角(ろっかく)真理(しんり)

 

一、神の世界

 

二、理の支配

 

三、借物の身体

 

四、刻々と移り変わる

 

五、霊魂不滅

 

六、神恩に満ち満ちた世界

 

【神の世界】

 

この世の万物はすべて目に見えない「陰陽二種の不滅電気の和」で成り立っている。人間の肉体細胞もこれより成り立っている。「火・水・風」を始めとし、この世において、人間が創り出したものが、あるだろうか・・・・。自然の中に生まれて自然の中に死んで行く私たちであるのに人々は、この世は人間の世界であるかのように思うている・・・・これは大きな錯覚である。

 

  だんだんと何事にてもこの世は

 

神の身体や思案してみよ

 

 【理の支配】

 

この宇宙世界は、寸分くるいのなく秩序整然として運行しつづけている。水は高き所より低き所へ・・・・火は、低きより高きに燃える・・・・春には春の花が咲き、秋には秋の花が咲く・・・・降った雨は再び天に還り、万象は整然と循環している・・・・人間身の内の生理現象も何とすばらしい作用であろうか。これは、みな神様のお心の現れであり、おはたらきである。人間の心の道においても善因善果の理法をもって、神様が支配され、教育されている「理の世界」である。

 

 【借物の身体】

 だれでも、自分の意思で生まれたものはない。また自分の願いで死んで行く人もない・・・・我々の生死は、我々のままにならない・・・・

この現象の姿こそ生かされている何よりの証拠である。親に産んでもらった、自分だといってもその親自身その子の髪の毛一本、爪一枚自分が手がけて造ってやったわけではない・・・・これは全く自然の力である。

 

我が身も我が配偶者も我が子もみな一代の「かりもの」として、神様が貸し与えて下さっているものである。

 

  めいめいの身の内よりのかりものを

 

知らずにいてはなにもわからん

 

 【刻々と移り変わる】

 

万象、刻々と流れの上に乗っている。すべて刻々と動いている。

 

天啓御教書に「刹那連続反応態」と、仰せられてある通り同じ姿、同じ状態というものは、この世には何一つない。人間の肉体細胞も常に新陳代謝をしている。草木にしても、日に日に大きくなり、その姿を変える・・・・時の流れと共に、すべてが移行している世界である。

 

それなれば、今を大切に「今を全う」―その中にこそ明日への自分の姿がある。

 

 【霊魂不滅】

 

神様は人間の霊魂に代々肉体を貸し与え心となるおはたらきを下さっている。心とは、その人の魂が、肉体を通じて活動している「味わう力」である。こうして神様は、代々生まれ替わりをさせつつ、人間の心の訓育をなされている。生とは心の勉強の時間であり、死とは心の休み時間である「一日は一代とされ」と仰せられてある。昨日があり、今日があり、明日がある・・・・人間は一代限りのものではなく、前生より今生、今生より来生へと、継続していくものである。

 

「万差のわれら境遇は

 

霊魂不滅の証左なり」

 

 【神恩に満ち満ちた世界】

 

大気のおかげで息ができる。水のおかげで生きられる。火のおかげで豊かな生活ができる。もし「火・水・風」(大気)が無かったら、私たちは一刻も生きられない。海の幸・山の幸・里の幸など、人間の力で創ったわけではない・・・

  数えあげていけば、神様の御恩の中にくるまっている我々である。水のおかげで目が見え、光のおかげで見える世界があり、大気のおかげで聞こえる世界がある。人間の身体も「ぬくみ・水気・つく息・ひく息」のおかげさまである。

  この六角真理を一口に「神ありて我あり」と教えられているのである。この偉大な親神様の御教えによって、神の御心と偉大さがわかり「感謝の日々、報恩の日々」を歩むようになるのである。いや歩んでいかねばならない。それが人間としての真の助かりであり、真の幸福である。